マケドニアにでもいくか

暇人になりたい

フィリピンなんて二度と行かない

 ここ一週間ほど前に、嫌々ながら後輩がフィリピンに語学の勉強のために留学に行ったようですが初日からぐちぐち文句を言ったり、ホームシックにかかったような発言をしています。まぁそれは行きたくない留学なので分かってることなのですが…

 というか、そもそも行きたくない留学に行くっていうのはなんなんでしょうか。

行かなきゃいけない行きたくない留学

 行きたくないのにいかなきゃいけないってのは辛いものがあります。それは異動だったり出向だったり社会人だったらよくありそうなもので、でもそれはだれだって学生だって一緒です。仲の悪い友達の家になんか行きたくないでしょうし、怖い先生のところなんか行きたくないどころか会いたくもない。

 じゃあ、行きたくない留学はというと海外留学が義務になっている学校がそれに当たりそうですし、学部なんかでも外国語学部はいかないといけないところがほとんどですよね。だけども彼らは行きたくないをもっと根本のところで選ぶことができるんですよね。だって行かなきゃ卒業できないって入学前に教えられるんだから、それで学校に入るか入らないかから決めることができるはず…。

 問題は行かなきゃいけない行きたくない留学です。「自分のために行くのに、留学は自分のためじゃないから行きたくない留学」。どっかのボンボンが親に無理やりというのがそれっぽいですけど本人がよっぽど内向的じゃないと難しいですよね。正直ほんとにそういう人がいるのかとも思いますが、現に先に述べた後輩がそうなので現実は小説よりも奇なりといったところでしょうか。

行きたくない留学でなにを学ぶ?

 でも飛行機は飛び去ってしまいました。日本中にいる留学したいけどできない人は経済的な理由を主に諦めるのに、留学なんて行きたくない彼はなんでかフィリピンへ旅立ってしまうのです。もっともフィリピンは2カ月で寮費食事代合わせて20万程度の低予算でいける人気(?)のある国の様ですから留学のラインとしては低いようですが。

 しかしそれでも行きたくないわけです。留学は観光や旅行のような誰が考えても楽しいだけのことばかりのイベントではありませんし、第一に語学の勉強に来ている訳です。そうした目的を踏まえたうえで彼はなにを学ぶことができるんだろうなと思います。

 実際、留学に大切なのはそれを手段だと思うことです。「大企業で海外に派遣されるために必要な語学力を習得するために留学する」「現地の社会について研究したいから留学する」といった考えかたの人が「留学は素晴らしい」と両手を挙げて褒め称える訳です。来て1日もたたないうちに、帰りの飛行機に今からでも乗れないかと考える人にそんなものはそもそもないわけです。

 でも留年隠しやただの脈絡もない目的に使われる留学よりも、行きたくない留学の方が的確に生きていると思うのです。だってなによりアンチ経験則を地でいってるわけですから芯はそれなりにあると思うのです。

 嫌なことばかりというのは世間との付きあい方を見直すチャンスになります。苦手な人や進んでやりたくないこと、そうしたものからくるストレスと自分がどう向き合っていくかを身をもってい体感する機会なのです。楽しいということはもちろん人という種を育てる肥料になりますが、辛いという感情も人を育むためにまた大切な材料です。もっともその人が自立した人間であれば判断を見誤らないような回答を導き出せる人になれるでしょう。

 と考えたけど

 そもそもそういう事を学べる器量があるならば、留学に対するポジティブさが見え隠れするのでは? という疑問があって、なににしても頑張ろうという意志にはまってないというのはアンチ経験則以前にアンチ人生みたいなところがありますよね。とすると行きたくない留学が私たちに教えてくれるのは、人生の無常さと儚さとその他もろもろのネガティブなイメージばかり。でもそんなものは普通に生きてりゃたくさん頂けます。もうえらいくらい頂けます。ということは……、なるほどそういう、という話でした。